YOGA.jp
イベント BACK
リストラティブヨーガティーチャートレーニングが開催されました!
綿本 (以下W): まず、リストラティブヨーガとは何か、簡単に教えていただけますか?
Judith(以下J): はい、リストラティブヨーガは、身体をサポートするためにプロップを使って、深い休息と心の平安をもたらすためにいくつかのポーズを行っていくものです。
忙しい生活とのバランスをとるためのものでもあります。
Judithさんご自身、リストラティブヨーガの指導者でもあり、また熱心な実践者でもありますね。
今回来日中のホテルでもプロップを使って実践しているとお聞きしました。
Judithさんにとってのリストラティブヨーガとは何か、をお聞かせいただけますか?
少なくとも2つの違った観点で言うことができますね。
まずひとつはストレスの軽減。
これは私自身にとっても、そして他のすべての方々にとってもそうであると言えます。
リストラティブヨーガを行うことで、もっと「今」という瞬間に留まることができ、そして安心することができています。

また、ただそれだけでなくふたつめとして、リストラティブヨーガは「ヨーガの実践が、私と宇宙との繋りを修復するためのもの」ということを思い出させてくれます。
スピリット(魂、精神)と繋がる感覚を修復するためのもの、というか・・・ 
そう、ヨーガスートラにも、「ヨーガは自身の中の調和を思い起こすためのもの、自身の中の完全なるものを思い起こすためのものである」と書いてありますね。
だからプラクティスは、単に自分のハムストリングやポーズについての変化を感じるためだけでなく、大いなるものとの繋がりを修復するためでもあります。つまり、身体的な修復だけでなくもっと深いところでの繋がりを修復するためのもの、と言うことができるでしょう。

普段の生活では、普通のアーサナ練習と、リストラティブヨーガのポーズ練習の割合はどのくらいですか?
そうね、毎日の練習として、アクティブなアーサナを1時間ほど。そして静かなポーズを20分程行っていす。そして週に1度は、1時間のリストラティブヨーガだけのプラクティスもしています。
静かなポーズと言うと、例えば子供のポーズなどですか?
そうですね。私の練習は、1時間で2ポーズだけ、なんてことあるんですよ。
毎日20〜30分、そして時には40分のシャバアーサナ(無空のポーズ)も行います。
そして年に1度、年末の1週間は、1時間のリストラティブヨーガを毎日行い、年の瀬の慌しい時期をゆっくりと過ごようにしています。
でも、毎日のアクティブなアーサナ練習もしていますよ。

朝は瞑想とプラーナーヤーマ(呼吸法)からアクティブなアーサナ、そして静かな前屈系のポーズで終わりにします。朝はシャバアーサナはしません。その代わり、午後に20分から40分のシャバアーサナで休息をとるようにしています。

今現在、Judithさんはリストラティブヨーガの先生、というイメージが強いですが、指導はリストラティブヨーガだけですか?
いいえ、他にもヨーガに関することをいくつか教えています。
例えば今日のワークショップでも少しやりましたが、アクティブなアーサナのシリーズである「内臓からの動き」と呼んでいるクラスや解剖学、解剖学をベースにしながら肩、腰、脚の動きに特に注目したアーサナクラスもワークショップで行っています。それから、ヨーガスートラも教えています。
   
私の最初のヨーガの師は、「Complete Illustrated book of Yoga」の著者であるビシュヌ スワミ デバナンダ氏でした。ですから最初はシバナンダヨガの流派でした。それが1970年です。
その後、1974年にB.K.Sアイアンガー氏に出会いとても大きな影響を受けました。
この出会いは、その後の私のヨーガ修行の原型を作ってもらったといっても過言ではありません。
それから、私はもっと良いヨーガの指導者になる為に、理学療法士の学校に通い、その後東西心理学の博士号をとりました。ヨーガの指導は1971年から始めていました。
今までの学んだすべての経験が、リストラティブヨーガにフォーカスしていくプロセスになったのでしょうか?
実はもっと個人的な理由からでした。私の双子の兄弟が病気で亡くなり、私は深い悲しみから自分を救うためにリストラティブヨーガを何度も行いました。
その後、出版社から「Relax and Renew」の本を出版しないかと誘いを受け、その本が出版された後、リストラティブヨーガのワークショップの誘いが方々からかかるようになり、とても人気がでるようになりました。
話しは変わりますが、リストラティブヨーガで行っているのは、メディテーションでしょうか、それともリラクゼーションでしょうか?

両方ですね。
私にとって、リラックスするリストラティブヨーガは瞑想的です。でも瞑想と同じではないわ。
とても似ていますが・・・ そうね、従姉妹みたいなものかしら。

私の普段行っている坐禅瞑想の際、私が目的としているものは「自分の内側と外側を区別せず、湧き上るすべてのものと共に存在する」ということです。
私の目は少しだけ開いていて、内側にのみ向かおうとせず、かといって目を見開いてもいないので、外側にのみ向かうわけでもない。
ちょうどその中間に留まり、湧き起こるすべてのものに対し平等に意識を向けています。
そして、ただそれらが湧き起こるのと同じように、自分の思考をも見守っている状態、禅の言葉で「只管打坐(しかんたざ)」と言いますが、ただただ坐っている状態です。
そして逆に、リストラティブヨーガ、またはシャバアーサナのようなポーズをする時は、私の集中は内側に向かい、プラティヤハラ(制感、感覚制御)の状態と言えます。
私は、内側に引き込まれることと、瞑想を練習することは完全に違うものだということを明確にしたいと思っています。瞑想では、内側に引き込まれることはありません。

リストラティブヨーガで得られるリラクゼーションの状態は、メディテーションで言うサマディ(三昧)とは違う、と仰ってましたが、それはどのように違うのでしょうか?

部分的には同じでしょう。重なっている、オーバーラップしていると思います。

サマディにはいくつかの段階があり、それはどれくらい個人(自己)が残っているかどうか、
どれくらい「経験する主体」が残っているかという違いになります。

サマディの中では、「経験」 と「経験される対象」そして 「経験をする人」に区別がありません。
それらはすべて一つになります。

私個人として、サマディに対する考えはあります。でもそれはただのアイディアであって、経験とはまた違うものです。
例えば、子供が読み方を覚える時、大人は本に描かれた牛の絵を見せて「これが牛だよ」と言いますね。
そして次のステージである読み方の勉強として、牛の絵と「うし」と書かれているページを見せるでしょう。そして最後は「うし」という文字だけを見せる。これは本物の牛とはなんら関係のないもの、単なる抽象的なものですよね。

そして、本物の牛を見ること(経験すること)と、「うし」と言う言葉は、頭の中では繋がりはしたものの、現実的にまったく繋がっていません。
(実際の牛と、それに対して人が貼り付けた「うし」という名前は、頭の中では繋がっているけれども、現実世界の中では何の繋がりもないということ)。

すなわち、私がサマディについて時間をかけてお話したとしても、実際の経験とはどんどん離れていってしまうのです。
(Judithさんはサマディについて、「実際の経験」と「言葉で表現すること」との違いから、言及することの無意味さを上のように説明してくれています)

これは私の勝手な想像なのですが、瞑想とは「能動性」と「受動性」が完全にバランスした状態であるのに対し、リストラティブヨーガは「受動性」が「能動性」よりも優位になっている状態であるような気がします。そのあたり、Judithさんはどうお考えですか?

私にとっても、瞑想は能動的でもあり、受動的でもあると思います。ただ私は“受容的(receptive)”という言葉を使いたいですね。そういう意味で、リストラティブヨーガとは「完全なる受容」です。

通常のアーサナ練習では、あなたは行為を行う主体であり、ポーズの生みの親であり、だからポーズはあなたの行為を受け入れます(従います)。

逆に、リストラティブヨーガでは、ポーズが主体となり、あなたはそれを受け入れる側になります。あなたはポーズを受け入れ(ポーズに従い)何もしません。行為をすることなくただ受け入れるのです。

では、坐禅の場合はどうなのでしょうか?

私は坐禅瞑想のエキスパートではないのですが、私の見解では、何か違う段階を求めようとか、変化しようという気持ちはありません。私は坐禅を組んでいる時はただただ坐って、完全に自分になって、悟りの境地を求めるようなこともなく、自分自身になる、ただそれだけです。

それでは、アクティブなポーズを行っている際には、「受動性」よりも「能動性」が優位になっているといえますか?

完全にポジティブだとか、アクティブだと言うような事は何一つないと思っています。
アクティブなヨーガの時は、私がそのポーズを表現している、と言う事に集中をしていて、内側から外側へそれは向かっています。

しかしリストラティブヨーガでは、外側から内側へ取り込むような感じです。受容の入れ物になったような感覚になります。

では、最後の質問になりますが、Judithさんにとって、日本の受講生の印象はどんな感じでしたでしょうか?

はい、皆さんのことがとても好きになりました。
皆さんの集中力や、リストラティブヨーガへの興味、そして積極的なエネルギーが、このクラスをとてもよいものにしてくれました。私は皆さんのことを生徒としてだけでなく、人として、そのつながりをとても楽しんでいます。

今まで多くの国を回られたと思いますが、そんな中で、日本人の生徒は何か特徴的でしたか?

私にとっては、ヨーガの生徒はみんなそれぞれ違うけれども、やはり似ていると思っています。
ですので、見た目や言葉は違うけれども、どこに行っても皆同じだと言えるでしょう。
私達は皆同じ夢を持って、同じものを必要とし、そして同じものを目指しています。
皆同じように休息を望んでいるし、気分良くなりたいと思っています。皆、幸せに暮らしたい、と言うことなのだと思います。

それでは最後にJudithさんからのメッセージをお願いします。

世界に対する私の心からの願いは、1日のうち15分間でいい、安らぎのためや平和を感じる手助けになる何かに時間をとって欲しいということです。
そして、そこで感じたものを、今度はこの世界に捧げる事が出来ると思うのです。
それによって、世界を平和に導くことができると思います。
もしあなたの心が安らぎと平和に満ちていたなら、憎しみや不安を感じることは難しいでしょうから。

Judithさん、今日は本当にありがとうございました。

▲PAGE TOP